桜の花は人を惑わす。
舞い散るその儚さが人を捉えるのだろう。

ところで、とある町のとある自然公園に桜の木が一本だけある。
かなり昔から公園の丘の上にあり、昔から人々を楽しませてきた。
しかし、今その桜の木に不思議な――― そして不穏な噂が流れている。

桜の木の下には死体が埋まっている。
それは、桜の木が美しく咲く為に人を肥料としているのだと。
日が沈んでから公園に入ると、桜の木に食べられてしまうのだと。


【夜桜の宴】


マンションの一角に近所迷惑を無視した銃声が響く。
日が沈み始めて電気の光が灯り始める中、その音源の一室だけカーテンが閉まったままだった。
しかし、その部屋の住人はそんな事気にも止めないようで、容赦無く銃声を響かせている。
「広輝! そんなんじゃ、このあたしには勝てないぜ!」
「普通に怖いですから!それに俺、こういう系は苦手だって言ったじゃないですか!」
広輝と呼ばれた少年は表情を引き攣らせて引き金を引くが、一向に当たる様子はない。
その隣で、生き生きと銃を構える広輝の親友は、確実に相手を打ち抜いているわけだが。
「あ、そうそう。もちろん負けた方は罰ゲーム!」
「聞いてないですよ!?」
「今決めた! さあ、負けたくなかったら頑張れ!」
「不公平ですよ! 今の時点で随分と数が離れてるじゃないですか!」
言い合う二人が向いている先にあるのはテレビ。
画面には薄暗い路地が映っており、そこから次々とゾンビが襲い掛かって来ている。
親友は会話をしている間にも銃型のコントローラーを次々と現れるゾンビに向けた。
「ま、広輝はホラー苦手だしな。画面が直視できないか」
「判ってるなら何でゾンビのシューティングですか!」
文句を言っている間に近づいていたゾンビが広輝のキャラクターに止めを刺す。
広輝側の画面に赤いフィルターが掛かり『GAME OVER』の文字が表示された。
「……負けは負けですね」
一瞬呆然としたが、すぐに諦めた表情をして広輝は親友を見る。
親友は少し考えるような素振りをし、何か思いついたのか部屋を出て行った。
ガタガタと部屋を漁る音がしばらくの間して、数秒後デジカメを手に戻ってくる。
「じゃあ、今から自然公園に行ってこのデジカメに桜を収める!」
「自然公園って……“あの”噂がある?」
「お化けやゾンビは信じてないんだろ? なら問題ないよな!」
引き攣った笑みを浮かべた広輝に、親友はデジカメを押し付けた。



まだ空にオレンジ色は残っていたが、太陽は既に見えない。
公園の電灯も光を灯し、数匹の蛾がそこに集まりつつあった。
「帰っちゃダメかな……」
自然公園の入口から少し入ったところで、広輝はつぶやく。
いくら幽霊を否定しているといっても、怖いものは怖いに決まっている。
それでも(例え向こうが一方的に決めたとはいえ)罰ゲームなのだから仕方が無かった。
もしここで拒否したら、後からの親友の報復の方が恐ろしいという事もあるが。
「確か、森林エリアを抜けた先にある丘でしたよね」
地図で確認すると、噂の桜がある場所はほぼ公園の中央だった。
そこに行くまでに、擬似的に森を再現した森林エリアを通らなければならない。
静まり返った森など“何か”が出そうな雰囲気を十分に持っているだろう。
深いため息を一つ吐き、広輝は森林エリアへと足を進めた。

森林エリアは、ただでさえ来る人間が少ない。
一応人が通れるような道はあるが、そこには雑草が生い茂っている。
公園の管理としてどうかと思うのだが、おそらくそこまで手が行き届かないのだろう。
お陰で、少し離れたところでした物音が嫌というほど良くわかってしまった。
どうせ野犬か野良猫だと思おうとして、しかしそれにしては音が大きいと否定する。
そして彼の視覚が捕らえたのは犬猫とは全く別のモノだった。
「……いや、洒落になりませんよね? ゲームのやりすぎの天罰ですか!?」
一瞬だけ現実逃避をしかけ、混乱した頭が悲鳴よりも困惑を優先する。
広輝の視線の先にいるのは、まさしく『ゾンビ』と呼ぶに相応しい者だった。
『ゾンビ』の着る服はところどころ破れ、そこから腐敗した肉が覗いている。
ゲーム画面で見たものを、そのまま現実に持ってこられたようなイメージだ。
「ゾ、ゾンビ効くのって銀の弾丸でしたっけ? 十字架は吸血鬼ですし」
そんな都合よく、銀の弾丸など持っているわけがないだろう。
―――― じゃあ、どうやってこの危機を潜り抜ければいい?
ゾンビが見た目に合わず俊敏な動きで広輝に迫って来た。
広輝は反射的にバックに手を伸ばし、ある物に気付き意図的に中身の一つを掴む。
護身用などと言って、冗談で親友が入れた物の一つであるコンパクトナイフを。
ゾンビ相手にかなり不安だが、何も無いよりもマシだと覚悟を決める。
だが――――ゾンビと彼の間に現れた乱入者により、それは全く意味の無いものとなった。
「おんなの……こ?」
「お兄ちゃん、下がってて。危ないから」
巫女服に身を包んだ幼さを残す少女が、広輝の前に立ちゾンビに向けて符を投げる。
それは狙いを違う事無くゾンビの額に張り付き、その動きを封じてしまった。
瞬間的な出来事に、呆然とする広輝の手を少女は掴んで走り出す。
「あれはわたしの専門じゃないから、長くは持たないの」
「きみは……?」
「わたしはただの巫女」
ニッコリと、少女は子供っぽく微笑んだ。
年は大体小学校の高学年だろうか。広樹よりも4、5歳ほど下に見える。
「えっとね、今から協力者―――ゾンビハンターの人と合流するんだけど、そこまで走って」
「巫女さんにゾンビハンターですか……アレを見た後じゃなかったら絶対に信じませんね」
ゾンビがいるのなら、当然幽霊がいてもおかしくない。
その二つがいるのなら、それらを退治する人間がいてもおかしくない。
どれも広輝が数分前まで否定していた事だが、本物の前なら意見を変えるべきだろう。
「ところで、お兄ちゃんはどうしてここに来たの?」
「季節外れの肝試しみたいなものですよ」
不思議そうに聞く少女に、広輝は苦笑して答える。
まさかあの親友も、こんな事になるとは予想していなかったに違いない。
予想していたらしていたで、黒い感情が心の底から湧き出てくるのだが。
少し走ると、開けたところに大鎌を手にした茶髪の青年が立っているのが見えた。
巫女の少女の話によれば、“協力者”であり“ゾンビハンター”である青年。
広輝と少女の存在に気付くと、純粋で友好的な笑顔を浮かべた。
「一般人の保護、終わったみたいだな」
「あ、えっと、ご迷惑掛けました」
広輝が謝ると、気にするなと青年は笑う。
「じゃあ、お兄ちゃんを公園の外まで送らないとね!」
「あ、ダメです。桜の写真を撮って帰らないと……」
少女と青年が、ほとんど同じタイミングで眉をひそめた。
春先のまだ多少寒さの残る風が、三人の間を吹き抜ける。
「何か訳有りっぽいな?」
困った、という表情を少しも隠そうともせずに青年がつぶやいた。
それに広樹は力の無い笑顔を浮かべ、遠い目をする。
「ええ、きっと手ぶらで帰れば半殺しですね」
広樹より年上のはずなのに、親友は凄く子供っぽい性格だ。
物事が自分の思い通りに行かないと、すぐに機嫌を悪くする。
その結果、八つ当たりに走るのだが、それが半端無く強いわけだ。
今更ながら、なんでこんな奴と親友になってしまったのか広樹自身の疑問に思う。
「そういうわけですから……ある意味ゾンビとかよりも恐いんですよね」
広樹の言葉に少女は真剣そうな表情で何か考えていたが、言い難そうに口を開いた。
「実は、このゾンビは“桜”に憑いた霊が生み出してるの。それを祓いに来たんだけど……」
「ただゾンビは彼女の専門外だから、俺が協力してるわけだ」
嫌な話を聞いた、と言わんばかりに広樹は表情を暗くする。
なんでこうも、狙ったように苦手なものばかり出てくるのだろう。
心の底から帰りたいと思いつつも、これからどうするのかは既に決まっていた。
「なら、一緒に行かせてもらってもいいですか?」
「……守りきれなかったら知らないぞ?」
念を押すような青年の様子に、広樹は小さく頷く。
それに、他にも気になる事があるのでここで帰るわけにも行かない。
広樹の決心が固い事に気付いたのか、少女と青年はあっさりとそれを承諾した。

さすが本職、という感じでゾンビハンターの青年はかなり強かった。
彼が大鎌を一薙ぎするだけで、だいたいのゾンビは崩れ去っていく。
行く手を阻むゾンビはそこまで多くは無く、彼一人で十分迎撃できた。
数分もすれば、美しく咲き乱れる桜を目の前に臨む事となった。
「こっからは巫女さんの領域だな」
青年が鎌を担ぎなおし、少女ににやりと安心させるように微笑みかける。
少女はそれに真剣そうな表情で一つ頷くと、桜に一歩近づいた。
一瞬、桜の木が身震いをしたような錯覚に囚われる。しかし、現実は違い―――揺れたのは地面だった。
鋭く尖った根が何本も地面から勢い良く突き出て少女に襲い掛かる。
少女は冷静に符を放ち、それを止めていった。広樹はその姿に息を呑む。
根を舞うように避け、避けられないものは符で止め、前に進んでいく。
それは一種の舞のようであり、広樹は一瞬それに見惚れた。
―――だが、青年の言葉が広樹を現実に引き戻す。
「悪いな」
ドスッ、と嫌な衝撃が後ろからした。
首を回すと、青年は困ったような笑みを浮かべ、広樹の背にナイフを突き刺していた。
口に鉄の味がするものを感じ、しかし何かをする前に蹴り倒される。

広樹が起き上がらないのを確認し、青年は少女を呼んだ。
少女は符を持っていた手を下げ、自ら操っていた.......根の動きを止める。
それから小走りで青年の隣まで来て、命の灯火が消えようとしている少年を見下ろす。
「終わったの?」
「ああ……お、まだ意識あるんだ。しぶといな」
意外そうに青年は広樹を見て、どこか子供っぽい残酷な笑顔を浮かべた。
「すぐに帰れば命まで取るつもりは無かったんだけどなぁ、此処にこられると困るから」
「でも、そろそろ拠点を変えるべきね? ゾンビの所為か、変な噂も立っちゃったし」
少女はくるりと桜の方に向き直り、手を伸ばす。
すると、桜の木から桃色の光の玉が流れ出し、少女の手の中で一つのものになった。
青年も見惚れるようにそれを見る。もう、広樹の事などどうでもいいと言わんばかりに。
「結構魔力は集まったな」
「うん、やっぱ相性が良いのが一番ね」
「良いよな、お前は外から集められて。俺は自然回復しかないし」
「でも、そっちの能力の方が制限が無くて便利そうよ?」
先程の事なんて無かったかのように二人は仲良く話す。
桜は最初に見たときと変わらず、花弁を少しずつ散らしながら咲き誇っていた。
少女が風に吹かれてきた花弁を掴もうと手を伸ばした瞬間―――
何者かにより、少女の腕が強く後ろに引かれた。
青年が驚きに目を見開く中、少女を引寄せた人物は彼女の頭に黒いモノを向ける。
時間にしてほんの1、2秒。あきらかにこういう事に慣れた人間の動作だった。
「え……?」
「なっ!?」
その人物を見て、二人の驚きはさらに大きなものとなる。
少女の腕を掴み、その頭に銃口を向けていた者―――広樹は冷たい笑みを浮かべた。
「やっぱり、二人とも魔法使いだったんですね」
さっきまでのゾンビを恐がっていた姿が嘘のように、感情の含まれない声が響く。
冷静そのものの表情から感じられるのは、静かな敵意だけしかなかった。
青年はそれに恐怖を感じ、搾り出すように恨みの篭った声で問いかけた。
「何で……」
「ゾンビとか幽霊なんているわけないじゃないですか?」
当然の事のように青年の問いとはずれた答えを返す。それに、今度は少女が不審そうな表情をした。
「ホンモノだと思ったんじゃなかったの?」
「あの近さで腐臭がしないのはおかしいと思いますよ。それに斬っただけで死ぬなんてゾンビっぽくない。あとは、一度もゾンビが俺に触れることはありませんでしたよね? 結論から言うと―――あれは幻影ですね」
ゾンビはいないだろうが、ゾンビの幻を魔法で見せる事はできる。
もちろん幻に実体は無いので、触れてくれば一発で判るだろう。
だからこそ、広樹がゾンビと戦おうとしたとき、少女が邪魔に入った。
「そんな事より! なんで生きてるんだ!? ちゃんと心臓を狙ったのに!」
「簡単な事ですよ。俺は魔女狩り所属の魔法使い。属性は“再生”です。なので、狙うのなら頭でしたね。心臓くらいなら自分で治せますよ」
少し時間は掛かりますけど、と広樹は小声で付け足したが、近くにいた少女にしか聞こえなかった。
それよりも気になる言葉を見つけたらしく、少女は恐怖を押し殺して広樹を見る。
「魔女狩り……?」
「貴方達のように世間に迷惑を掛ける魔法使いを狩る組織ですよ」
青年が先程よりもずっと殺気の篭った目で睨むが、少女が捕まっている以上下手には動けない。
少女も足手まといにならないように逃げようとするが、腕はしっかりと掴まれたままだった。
「どうやら彼女が木を操り、貴方が幻を出していたようで……それにその青年の姿も幻影ですね」
「……っ!」
「魔法を解いてください。あ、幻影を出したら引き金を引きますから」
一瞬で見破られた事に青年は絶句し、観念したのか自らにかけていた魔法を解く。
幻が消え、そこに現れたのは少女と瓜二つの顔をした、幼さの残る少年の姿だった。
双子だったんですか、とどうでも良さそうに広樹はつぶやく。
「さて、俺は刺されて本当に痛かったんですが?」
優しい笑顔だが、双子にはどうしてもそれが苛立っているようにしか見えなかった。
「「ご、ごめんなさい……」」
「ま、これからどうなるかは変わりませんけどね」
恐怖から素直に謝る二人に、広樹は表情を変えずに首を傾げた。
微かにオレンジ色の残っていた空は、完全に闇の漆黒に呑まれている。
その中で咲き乱れる桜だけが、ライトの光で照らされていた。



時計は9時を回っている。
遅いな、と広樹の親友である女性はつぶやき、窓を開けた。
どこからか風に乗って飛んできたのか、一枚の花弁が落ちる。
「ただいま」
マンションの扉が開き、疲れたような声が部屋に響いた。
目的の人物の帰還に、女性は「おかえり」とにこやかに言う。
「デジカメは?」
「あー、スミマセン。壊しちゃいました。代わりに花を……」
「その様子だと、不可抗力か。まぁ、ちゃんと行って来たみたいだし今回は許そう」
内心、どんな仕打ちを受けるか恐れていた広樹は安堵のため息を吐く。
自然公園で刺されて倒れた時、運悪くもデジカメは壊れてしまったようで動かなかった。
とりあえず“行った”という事の証明に桜の花を持ち帰ったのも正解だったようだ。
「で、後ろの子達は?」
女性の言葉に、広樹は苦い笑みを浮かべる。
「魔法使いです。最近なったばかりで、知らない事が多いようです」
「へぇ、魔女狩りに入れるつもり?」
「属性は“木”と“幻”。タッグを組むなら相性も良いですよね?」
「あっそう。折角だし桜は器にでも入れとこうか」
どうやら興味は無いらしく、女性はそっけない態度で桜を入れる器を探しに行く。
隣の部屋から何かを漁るような音がして、整理くらいすればいいのに、と広樹は呆れた。
後ろについてきた少年と少女が、顔を見合わせて同時に広樹に向かって頭を下げる。
「あの……見逃してくれてありがとうございます」
「いや、被害者は俺だけだし、俺もちゃんと復讐したし問題ないですよ」
復讐などという大層な言葉をわざとらしく使って、肩をすくめる。
それに少しだけ不思議そうに、おずおずと少女が口を開いた。
「復讐って、デコピンだけで良かったの……?」
「年下の悪戯には年上は寛容になるべきなんですよ」
桜を入れる器が見つかったらしく、女性がガラスの器を片手に部屋に戻ってきた。
広樹は何気ない動作で女性に近づき、双子達に聞かれないように小声で聞く。
「ところで、何でコンパクトナイフと銃をバックに入れたんですか?」
「だって、桜が人を喰うなんて噂、魔法が関わってるとしか思えないぞ?」
一瞬の間。
「やっぱ知ってたんですね!?」
「あははははは」
「笑って誤魔化さないでくださいよ!」
「年上を敬え、ディアフレンド」
「敬ってますよ、貴方以外は」
言い合いを始めた二人に、双子はつい我慢できなくなったかのように噴出した。
「広樹兄ちゃんって、魔女狩り以外のときはヘタレだよね」
「確かに口とか弱そうだし、俺に幻影出すなって言ったのゾンビが怖いからだし」
それを聞き広樹が不満そうな表情を彼らにも向けると、双子達は笑って逃げ出す。

夕方とは別の意味で騒がしくなったマンションの一室に、苦情が届くのは次の日の話だった。




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使用お題
桜、春宵、出会い、咲き乱れる









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